The symposium about river engineering, 2022

河川上流部における超過洪水用分散型遊水地の提案と阿武隈川を対象とした試算

著者

妹尾 泰史1,石川 忠晴2

1.株式会社東京建設コンサルタント,2.東京工業大学 名誉教授

説明資料

コメント (4)
  1. 諏訪 義雄 より:

    私のディスカッションの意図・目的は,先生のご提案の実現に向けた課題と論点を整理することにあります.

    遊水地実現に向けた提案のご説明ありがとうございます.先生が提案する超過洪水対策の考え方について理解が深まりました.
    氾濫させない安全を保障する従来の河川整備計画とそれを超過する洪水時の氾濫を限定した範囲に収める氾濫計画をセットで作成する提案と理解しました.氾濫計画の策定主体は,文脈からは河川管理者あるいは流域治水関連法案の事業主体であろうと推察しました.
    先生のご提案は,清治(2011)さんが提案した包括的治水対策(沖積地連続堤河川)の限定氾濫域を具体化したものと位置づけることができると思いました.
    整理したいと思った点,課題及び論点としては,以下が浮かびました.
    1)氾濫計画実現に必要な資金(遊水地整備費用)の調達
    →河川整備事業費の内容変更あるいは流域治水関連法案で整備された事業制度を活用すると解釈しました.閉鎖氾濫原地形を利用するので越流堤整備だけで済み安価に整備できる点がメリット.この経済合理性を「理」として上流を説得する合意形成の材料とする.下流受益地が上流の犠牲を強いられる地域に「情」をお返しすることも欠かせない.
    2)図19の概念図からは,「氾濫計画(=分散型遊水地の整備により破堤氾濫を回避)」は整備水準に関わらず対象外力規模が変わらない(おそらくL2洪水と考えられる)ので,その責任は,氾濫計画作成時点から発生すると解されます.「氾濫計画(=分散型遊水地の整備により破堤氾濫を回避)」に対する責任が発生すると推察されます.
    3)「氾濫計画(=分散型遊水地の整備により破堤氾濫を回避)」の責任においては,水害訴訟で論点の1つとなる「過渡的安全性」という概念は存在しないのではないでしょうか.例えば,「氾濫計画」と異なる破堤氾濫が発生する等の齟齬があった場合にはただちに責任が生じる可能性が高いと推察されます.
    4)「氾濫計画(=分散型遊水地の整備により破堤氾濫を回避)」の責任(≒計画どおり機能しない≒破堤氾濫が発生した場合の損害賠償責任)が誰にあるのか整理する必要があるのではないかと思いました.また,責任を負う(損害賠償に応じる)ことができるのか検討が必要と思われました.
    5)(これまで安全を保障していた)計画高水位から堤防天端高までの余裕高や余盛高を使って「氾濫計画(=分散型遊水地の整備により破堤氾濫を回避)」を成立させています.河川整備においては活用を避けていた空間を用いる計画であり,損害賠償に応じる確率が現況の河川整備計画よりも大きくなることを意味していると解されます.氾濫計画の責任を負う者(河川管理者か)は,そのリスクを覚悟する必要があります.あるいは,「氾濫計画(=分散型遊水地の整備により破堤氾濫を回避)」について「損害賠償責任」が発生しない法的整理が必要ではないでしょうか.
    6)「氾濫計画(=分散型遊水地の整備により破堤氾濫を回避)」の信頼性は,現行の整備計画と同等にする・整備計画よりも高くすることは難しく,信頼性が低いものとならざるを得ないと考えられます.
    →清治さんは,堤防の強化徹底をセットにされていました.堤防強化で現行整備計画と同等にすることをめざす場合,強化が追い付くまでの時間が,即効性の制約要因となる可能性があると思いました.
    7)この信頼性低下分を「リスクテイク」とするのか,整備計画の信頼性を相対的に下げることで調整するのか,それ以外の方法があるのか整理が必要と考えられます.
    →上で紹介した堤防強化は,それ以外の方法の1例と思います.
    8) 下流地域は,流量制御・調節に貢献しないと考え,遊水地整備の対象から外していますが,左右岸では制御・調整の影響・効果はあるはずです.
    9) 超過洪水用遊水地(計画高水位と堤防天端高の差分空間で越流堤を配置し越流破堤が起こりにくくする超過洪水処理を考える)の設定は,下流においてもまちづくり・地域づくりの一環として検討可能ではないでしょうか.それは下流地域の危機管理や当面の応急対応にも役立つ可能性があり,上流の分散型遊水地設定に関する合意形成促進にも資するのではないでしょうか.

    上下流,左右岸の利害対立(先生の提案では合意形成)についてのコメントは,もう少し時間をください.

  2. 諏訪 義雄 より:

    遊水地整備に関する合意形成については,先生の問題意識,ご提案を上回るアイディアは私にはありません.特に,受益者が犠牲を甘受する者に,感謝を示す,それを行動にする等の重要性に同感です.

    一方,「氾濫計画」に関しては,事業うやプロジェクトの合意形成ではカバーできない,上下流・左右岸の利害対立や,その克服,上下流や左右岸のバランスのとり方に,整理や議論が必要な事項があるように思います.
    時間がないので,生煮えですが,コメント記載します.

    「氾濫計画」は破堤氾濫がないものとして作成されます.これだと遊水地事業・施設整備のプラス面(犠牲を強いられる人にとってのマイナスは表現されています)を表現したものにとどまります.遊水地に加えて,堤防等の人工物や自然公物である河道からなるシステムインフラである河川には,浸透破堤や侵食破堤等の破堤氾濫リスクも内在し続けるはずです.
    この破堤氾濫リスクへの対処として,避難行動や水防活動,居住地や財産を置く場所の選択等自衛行動が行われるのだと考えます.
    残り続ける破堤氾濫リスクをどのように扱うのかが整理が必要な点に思えました.

    ここから先のコメントは,先生の論文や提案から外れていると思います.
    私は,先生提案の「氾濫計画」を「氾濫流制御」の1つの方法と解釈しました.また,「氾濫を制御する」「氾濫流を制御する」調査研究のニーズは残り続けるとも考えますので,今後の調査研究の方向性に向けた論点や課題の提示を試みたいと思います.

    「氾濫制御」や「氾濫流の制御」を扱う場合には,破堤氾濫を避けるべきではなく,破堤氾濫を正面から扱う必要があると考えます.堤防の強化を進めることは当然のことです.しかし,長物の堤防強化には時間がかかり,越流を除いたにしても完全な破堤防止ができる技術段階にはないと考えます.この現実の中で,とりうる改善策の選択肢を増やすことが重要と思います.

    選択肢を増やす際には,リスクテイクも必要となる.現状の主流である,国が枠組みを用意して(国や行政が責任を負い)その具体化を現場や地域が担うという,トップダウンのリスクガバナンスは,リスクテイクの選択肢が入りにくいと考えます(失敗が許されないので).

    例えば,先生がご紹介してくださった刈谷田川の2004年破堤では,住宅地が近接する堤防が破堤したため,家屋もろとも人が流され,がれきとなった建物の中で溺死されるという被災形態が特徴の1つであったと思います.この教訓をもとに家屋倒壊危険ゾーンが設定されたかと思います.破堤口は流速が大きくなりますし,破堤箇所が絞り込めない現状では,家屋倒壊危険ゾーンは、破堤した場合の氾濫流速が大きい堤防沿いすべてが対象にならざるをえないと思います.破堤区間を絞り込むことができれば,家屋倒壊危険ゾーンは減ります(土地利用の選択肢が増えます).具体的な方法としては,ヒューズ区間を設ける,堤防高にメリハリをつける,集落や宅地ごと堤防と同じあるいはそれ以上に高さに嵩上げしてしまう(ミニスーパー堤防?)等の方法が考えらえますが,河川管理者や国の立場からは提案できない・しにくいものです.しかし,自衛という発想からならば,選択肢に入りうる余地があると考えます.洪水が来るたびに避難行動を一連区間の沿川一律で強い続けるのか,担い手がいないと言われて久しい水防活動の対象を一連区間堤防全体を相手にし続けるのか等住民側からの発想ならば,信頼性に課題はあっても区間を絞って堤防天端高を切り下げて越流強化工法を施す選択はありうるのではないかと思います.もちろん,一連堤防区間内での「合意形成」も容易ではないでしょうが.

    その他の論点・課題の1つとして、上下流や左右岸バランスを挙げたいと思います.
    先生から,「川」を治水受益者と対等な関係と見立てた理念の提示(沖積平野は本来川の領域)がありました.
    私からは,それに加えて,歴史的視点の追加を提示したいと思います.
    日本の耕地面積や人口は江戸時代初頭に大きく増加します.大規模な河川の付け替え・改修と低地等(高台も水路整備等で)の農地開発が進んだ結果です.しかし,その後,低地に進出した代償として,水害被害が増えました.幕府直轄地では,事後対応としてお手伝い普請や国役普請(地域ブロックとして国役金負担)等の公助を施しますが飢饉等も重なって幕府等にも余力がなくなり機能停止します.そのような中,為政者による遊水区域線引きと固定化,自衛競争の中での左右岸や上下流の水防競争(破堤による氾濫とその後の波及被害をどこに付け回すかの足の引っ張り合い)が進み,上下流や左右岸の利害対立が深まっていった・蓄積されていったと考えられます.
    明治以降の近代改修技術・洪水調節技術・計画技術の導入で,水系内で治水水準をアップさせる改修が行われ(今も続けられている),上下流や左右岸の対立は一定程度克服された.その際の克服の前提が,将来完成する工事実施基本計画(現在の河川整備基本方針・河川整備計画)だと私は解釈しています.この計画には,作成主体の責任を前提とする,その計画対象外力規模における上下流・左右岸のバランスが反映されていると考えられます.
    今回先生が提案されている「氾濫計画」は,既往計画を上回る規模も含む外力に対する,上下流や左右岸のバランスを結果的に決めるものとなると私は考えます.超過外力を含む「氾濫の制御」を含むものになるので,従来の計画におけるバランスを踏襲することでよいのか,新たなバランスルールを考えるのかは大事な論点の1つと思うのです.ルールはリスクガバナンスをどう考えるかでもあると思います.

    うまく説明できているか自信がありませんが,以上をコメントとさせていただきます.

  3. 妹尾 泰史 より:

    本論文第二著者の東工大の石川です。コメントをお送りいただき有難うございました。今日(15日)の市民講座講演の準備と実施に追われていたためにご返事が遅くなったことをお詫び申し上げます。ご意見の項目が多く、またそれぞれが連関しているので、短時間で整理することが容易でありません。そこで、雑駁で申し訳ありませんが、以下のように掻い摘んで回答します。(回答番号は諏訪さんのコメント番号に対応しています。)

    (1) 地役権設定方式で超過洪水用遊水地を建設する場合でも、氾濫制御施設に関する資金は河川管理者が負担し、管理責任も同様です。地権者は、地役権料を受け取った時点から土地利用の現状変更を行わないという責任を負いますが、その分の「不自由さ」に対して、下流受益者が「情」を具体化してお返しすることが重要です。説明資料のP.11下段に述べたように、いろいろのやり方が考えられます。また超過洪水用遊水地の水田の被災が予想以上に大きかった場合は、受益者である下流市町村は、(自分の身代わりになっている)上流農村の復興に対してそれなりの負担を持って「情」の返礼を考えるべきです。それが、流域治水の根本である「総力戦で挑む」ということでしょう。そういう制度づくりについて国交省が考えるべきです。
    (2) 河川整備事業の段階的進展(概ね30年ごと)による“実質的なHWL”の変動に合わせて越流堤の天端高は変わります。河川管理者が責任を追うのは河道疎通能力(その時点のHWLまで)です。したがって仮に訴訟沙汰になった場合の争点は、[河道疎通能力とHWLの関係]の推定が、計画作成時点の科学的知見(粗度係数の縦断分布等を含めて)の範囲内であるかどうかになるでしょう。
    (3) 大東水害訴訟で争点となった「過渡的安全性でOKか」は、治水をローカルに捉えた場合のことであり、流域という縦断的つながりの中で治水を捉えた場合には、かなり微妙な話になり得ます。例えば2019年の阿武隈川出水では、本川上流河道においてHWL以上で(つまり余裕高を含めて)公称の河道疎通能力以上の流量を流した結果、下流支川合流部付近で破堤氾濫が相次ぎましたが、これは(私の個人的意見ですが)本川の河川管理者の責任です。実際にはHWLを越えた堤防天端すれすれの状態が他の河川でも各所で生じていますので、超過洪水対策では余裕高の再定義が必要でしょう。
    (4)-(5) 諏訪さんは河川管理者の責任の範囲を気にしておられるようですが、それは私が考えることではありませんので回答はご容赦ください。なお、(3)で述べたように、大東水害訴訟での判例が今後も絶対的かどうかは不明だと思っています。流域治水という施策の概念自体が現段階では極めて曖昧ですから、新たな論点の訴訟が起こされることは十分考えられます。重要なことは、超過洪水(私の定義は説明資料に書いたように各段階の整備事業目標を基準にしたものですが)に対して人知がどこまで可能かを(そろそろ正面切って)議論することだと思います。
    (6)-(7) このコメントの意味はよくわかりませんでした。技術顧問をしている会社で私は清治さんと同じフロアに部屋をいただいているので、今度お会いした時に聞いてみます。私の考えは「長時間の洪水に対して堤防安全性が保障できるのはHWLまでだが、現実に起きている現象を見れば、洪水ピーク付近の短時間であれば、構造令にある余裕高の基準は“十分過ぎる”余裕になっている」というものです。清治さんに本論文をお見せした際には、このことに関して特に異論はおっしゃっていませんでした。むしろ「川によっては余裕高が大きすぎる」と言っておられました。
    (8)-(9) このコメントについてはその通りだと思います。重要なことは、一般的制度論ではなく、超過洪水対策を地形特性と地域の土地利用特性に応じて考えるという「現地orientedな思考」です。本省としてはall over Japanで単一の制度にしたいかもしれません。しかし氾濫現象は、地域によって、また治水施設や流域開発の時代変遷によって、さまざまです。したがって現地からの発想が重要だと思います。本論文では「我が国の河川上流域に“現に存在する”閉鎖性氾濫原とそこでの土地利用および宅地分布のもとでは、こういう治水方式もあり得る」ということを提示しました。これは私が調査した地域の話ですので、他の場所でも同じと言うつもりは毛頭ありません。しかし(少なくとも)この方向性については、本省の河川計画対策室も東北地整の河川計画課も理解してくださいました。重要なことは、具体のいろいろな場においてcase studyを積み上げるということです。国交省(特に土木研究所)は、今後の超過洪水対策の高度化に向けて、(事業として実施するかどうかは別にして)case studyを積極的に行うべきではないでしょうか。

    以上。

  4. 諏訪 義雄 より:

    石川先生
    お忙しい中,コメント返信くださりありがとうございます.

    (1)
    解説ありがとうございました.
    総力戦なのだから,「国によろしく」,「制度で」だけでなく,民間の取り組み・ボトムアップの取り組みも含めて考えたいものです(先生の提案されるいろいろのやり方がまさにそうだと思います).
    その成功例・社会で受け入れられていくものが制度になっていくのだろうとも思います.

    (2)
    先生の提案は,論文が主題としている遊水地整備もさることながら「氾濫計画」がポイント・肝だと私は解釈・理解しています.
    「氾濫計画」の「責任」を誰が担うのか,複数で担う場合にはどのように分担するかは整理が必要な点ではないかと思っています.
    “実質的なHWL”が計画対象流量時の水位,計画流量波形時の最高水位縦断形を意味するのだとすると,堤防管理の立場からは責任を分担する水位の範囲が変化することになる(現状は設計水位である計画高水位(HWL)までが堤防の責任範囲)と理解しました.あるいは堤防は越流するまで破堤しないという前提・仮定が入っており(清治さんの堤防の強化とセットという提案と同様),遊水地が個々の洪水に対して機能を発揮したかどうかに関して河川管理者の責任が計画流量時の水位・計画流量波形時の水位波形を示す正確性であると理解しました.
    後者である場合は,「氾濫計画」は(責任を伴う)計画ではなく整備状況時点の氾濫リスク情報と位置づける選択肢もあるように思います.
    前者である場合は,HWLの考え方の大きな変更になりますので,堤防の設計・管理も変えていくということになると思います.

    (3)
    計画高水位で越流堤天端高を設ける意図に,下流へ流下する流量を疎通能力以下に制限する意志が込められているということを改めて認識しました.河川管理者が実施する意味・意図についても,認識が深まりました.ありがとうございます.基本方針を達成するまで,河川管理者がつくる恒久的でない暫定的な調節施設と位置付ける整理もありうると思いました.
    下流に負担をかけないという目的からは,下流沿川が超過洪水時の流量・水位を疎通能力以下に抑える自衛のための施設として設置する手法もありうると思いました.受益地域が遊水地設置地域(犠牲を強いることになる地域)に直接協力をお願いする形にもなります.

    (4)-(5)
    「重要なことは・・」はそのとおりと思います.先生は流量の上下流配分という切り口で議論されている,私は住民目線からの減災という切り口で考えようとしている,という違いに気づきました.ありがとうございます.
    先生に河川管理者の責任範囲について回答を求めるというよりも,現実化・施策化するうえでは,河川管理者だけでなく関係者間の超過洪水時の責任分担が重要な論点ではないかという問題提起でした.特定の者に過剰な責任・義務を課そうとすると結果的に選択肢を減らすのではないかという思いからです.

    (6)-(7)
    うまく伝えることができず,すみません.
    遊水地と「氾濫計画」は,今まで使っていない領域かつギリギリの領域を使う対策になります.計画高水位を設計外力としている堤防の設計理念から考えて,私は,「ギリギリ」と表現しました.先生は,「・・現実に起きている現象を見れば、洪水ピーク付近の短時間であれば、構造令にある余裕高の基準は“十分過ぎる”余裕になっている」と捉えておられる.ここに認識の「差」があることを確認できました.
    上下流の流量配分制御のための施設配置計画が「氾濫計画」で.破堤氾濫リスクに対する避難等危機管理は別の枠組みで対処するのだろうと解釈しました.
    釈迦に説法と思いますが,「越水なき破堤」は越流に比べれば数は多くありませんが存在しています.大多数は,計画高水位は超えるが堤防天端高に至らないピーク水位を記録しているものです.特別に長い継続時間とは限りません.つぶしきることはまだできていません.
    私は,避難や居住地の選択を行う住民側目線から見る「氾濫計画」や氾濫流制御をイメージしており,破堤氾濫も含んだものが必要と問題提起している,と問題意識・位置づけを整理して考えてみます.

    (8)-(9)
    ご助言ありがとうございます.
    具体的な事例や課題から考える重要性は私も大切にしたいと心がけております.
    また,この分野の課題の全体像や,難しさの本質はどこにあるのかも整理して共有できないものかという思いもあります.
    今回論文でご紹介いただいた施設計画は,ブレイクスルーの1つではないかと思い,その秘訣あるいはポイントを共有することは論文集や研究分野として意味があることと考えております.
    現行制度における位置づけ整理もポイントあるいは秘訣を見出すヒントになると思っています.また,残る課題や今後必要となる調査・研究の方向整理も河川技術論文集においては重要ではないかという問題意識ももっています.
    再度災害の防止・軽減に関する貴重なケーススタディをご教示いただき,また、ご多忙な中,回答のコメントをくださり,誠にありがとうございました.大変参考になり,勉強になりました.